【2011年度授業】『国際人のグローバル・リテラシー(9)』
【国際人のグローバル・リテラシー 9.イスラム イスラムと西洋・キリスト教、十字軍の残酷】
日本は地理的にも歴史的にアラブ諸国やイスラム教国とは関係が薄い。関連があるのは、中近東の原油や第二次大戦中のインドネシア占領など、ごくわずかである。しかし、ヨーロッパにとっては、中近東やイスラムはいわば両隣とは行かないまでも『向こう三軒』という身近な存在だ。その付き合いも最近始まったのではなく、数千年も前から(あるいは数万年も前から?)綿綿と続いている。その長い付き合いの間、圧倒的に長い期間(つまり、つい最近の数百年ほどを除いて)中近東の方がリッチな先進国であった。つまり、『野蛮で貧乏な西欧』と『洗練された裕福な中近東』という構図であったのだ。
この背景の下、起こったのが富裕な中近東諸国からの富の略奪を目的とした十字軍である、と私は考える。こう言うと、『いや、それは違う。エルサレム巡礼をイスラム教徒に妨害されたキリスト教徒が信仰の自由を守るために立ち上がった聖戦だ。』という反論が挙がりそうだ。このような意見が大多数の人が持っているとか、高校で習う歴史ではそのように教えているからといって必ずしもこの意見が正しい訳ではない。『アラブが見た十字軍』(アミン・マアルーフ著、牟田口義郎+新川雅子・訳)を一度読んで欲しい。今まで抱いていた十字軍に対する考えが粉々になってしまうであろう。
私が今回の授業で『イスラムと西洋・キリスト教』だけでなく『十字軍の残酷』というタイトルを付けたのはまさしくこの点を考えてもらいたかったからだ。つまり、欧米が、自己防衛的な言辞とレトリックを振り回し、国際世論を自分の有利なように煽り立てるのは、彼らの自由であるものの、我々日本人がそれに盲目的に従うのは馬鹿げている。そういう見識のなさが、日本が国際政治において何らの重きも置かれていない根源的な理由である。今後ますます複雑になる国際情勢において、自らの権益を堂々と主張できるような見識ある日本人の輩出が望まれる。その為には、イスラム(中近東、アラブ、ペルシャ)について今までの知識をゼロリセットし、偏見なしに歴史を総まくりしてみる必要があると私は考える。

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本稿は今回の講義のまとめである。一部、語句を修正したところがある。またところどころ筆者(本稿をまとめた学生)の意見が入っている。
モデレーター:セネカ3世(SA)
パネリスト:T.T、NAO、K、TAMAYO
・イスラーム教について言われている「右手にコーラン左手に剣」は正しいか?
この質問について、T.Tさんは『イスラームの日常世界』という本を参考にした上で「正しくない」と述べた。イスラームに強制的に改宗を迫られるというよりはむしろイスラームそのものに魅力を抱いてイスラーム教を信仰し始める人が多いと述べた。初期の約100年間に広範囲にわたる地域を征服したが、人々は自発的にイスラームに変わっていった。続いて、NAOさんは「アラビアではもともと多神教であったが、ムハンマドの教えにより現在の一神教へと至った」と述べた。 Kさんは「予言者は単に未来を予言する者を意味し、預言者は神の声を民衆に伝達する者だ」として2つの違いに言及し、イスラム教ではこの預言者が第一に崇められると述べた。
預言者を第一とするイスラム教と、ユダヤ教あるいはキリスト教はなぜ争わなかったのか。その理由は両宗教がともに旧約聖書を原典としている、啓典の民であったことがあげられる。またイスラエルとアラブはともにセム族であり同族意識が強かったことも影響している。イスラム教の中での分裂(シーア派とスンナ派)があるため内部の争いの方が激越すぎて、他宗教に興味がなかったのでは、という意見も聴衆の学生からあった。
・十字軍の実態
アラブ人たちは、当初おなじ啓典の民であるキリスト教徒が攻めてきたときにその意図を測りかねていたのではないかというセネカ3世(SA)の問いに対し、「最初はただ傍観していたのだがだんだんあれ?と驚きに変わった」とT.Tさんは答えた。
現在はイスラム教徒は戦闘やテロといった加害者的、一方キリスト教は被害者的イメージが我々にはあるが、昔は十字軍に攻められた。しかし、果たしてイスラムはキリスト教徒より弱かったのかという疑問が生まれた。
TAMAYOさんは「技術自体は持っていたが、ただ同族意識によって攻撃できなかったのではないか」と述べた。
セネカ3世(SA)の説明ではヨーロッパの城塞の作り方は明らかに十字軍の前後で異なる。つまりイスラムの強固な城塞の作り方をヨーロッパにも導入したのである、とのことだ。当時のイスラム文明は野蛮などでは決してなく、むしろヨーロッパより洗練されていた。
・十字軍がもたらした影響
○アラブではどうだったか?
NAOさんは「キリスト教徒という共通の敵ができたことで、そこまで内部対立していたのを止め、まとまりが強くなり、アラブ自体の世界が再統一された」と述べた。
セネカ3世(SA)の説明では、安土桃山時代に日本に来たイエズス会の宣教師がなぜ仏教徒は宗派間で争い(殺し合い)しないのか疑問に思ったそうだ。つまり、ヨーロッパや中近東では宗派間の激しい争いは一般的であったことを物語っている。
○ヨーロッパの立場からはどうだったか?
Kさんは「西の地域にも高度な技術が伝わったからよかった」と述べた。十字軍によって多くの浪費があったことは確かだが得たもののほうが多い、という。西暦20 0年~1200年の間の時代のうねりをイスラームという新しい風によって変化が生じたからだ。城塞、化学、医学、等の技術が流入するきっかけとなった。またこれに関してKさんは「ヨーロッパでは病気は悪魔の仕業だと信じられかなり酷い医療技術しかなかった」と述べた。瀉血といった方法や感染症によって多くの命が奪われていた。医学では、イタリアのナポリの南にある都市、サレルノ(Salerno)ではイスラム医学をいち早く取り入れたため、当時のヨーロッパにおける医学の中心となり、発展した。
・第4回十字軍について
なぜキリスト教徒が同じキリスト教徒を攻めたのか?
この質問に対し、TAMAYOさんは「名目上は宗教の問題、けれども実質は商人たちの利益のためであった。当時栄えていたビザンティウムに攻めたかったから。」と述べた。ここで作られた城壁に関して、城壁内では疫病により多くの人々は死ぬ、また敵が財産をもって城壁を囲んでいるのは援軍がやってきて奪ったら得であるからであり、このように戦争とは、政治的な見方で考え勝ちであるが、経済目的であることもかなり多いとはセネカ3世(SA)の意見。
その後、東ローマ帝国が滅亡したため、高度な知識と技術をもった医者、芸術家たちがイタリアをはじめ、西欧諸国に移住した。その結果としてルネサンスが花開いた。こういった視点から見て、十字軍は歴史上非常に重要な意味をもっていることを学んだ。しかし忘れてはいけないのは戦争の被害者はアラブ人たちであったことだ。
いずれのパネラリストも、このクラスのディスカッションのために調査する前はイスラムのことをあまり知らなかったと述べた。あるいは、欧米サイドからの固定化されたイメージを抱いていたと述べた。しかし調べていくうちに今まで抱いていたこととは全く異なる事実があったことを知り、驚いたと述べた。
筆者自身もアラブと聞くと一般的にテロや過激派といった怪しいイメージがあったが十字軍やその他、イスラムの実体を知り、アラブが野蛮であるという評価はいずれも欧米の視点からの恣意的な評価であり、決して事実を物語っているのではないものだということを痛感した。そして十字軍がもつ意味の大きさを改めて認識させられた。
日本は地理的にも歴史的にアラブ諸国やイスラム教国とは関係が薄い。関連があるのは、中近東の原油や第二次大戦中のインドネシア占領など、ごくわずかである。しかし、ヨーロッパにとっては、中近東やイスラムはいわば両隣とは行かないまでも『向こう三軒』という身近な存在だ。その付き合いも最近始まったのではなく、数千年も前から(あるいは数万年も前から?)綿綿と続いている。その長い付き合いの間、圧倒的に長い期間(つまり、つい最近の数百年ほどを除いて)中近東の方がリッチな先進国であった。つまり、『野蛮で貧乏な西欧』と『洗練された裕福な中近東』という構図であったのだ。
この背景の下、起こったのが富裕な中近東諸国からの富の略奪を目的とした十字軍である、と私は考える。こう言うと、『いや、それは違う。エルサレム巡礼をイスラム教徒に妨害されたキリスト教徒が信仰の自由を守るために立ち上がった聖戦だ。』という反論が挙がりそうだ。このような意見が大多数の人が持っているとか、高校で習う歴史ではそのように教えているからといって必ずしもこの意見が正しい訳ではない。『アラブが見た十字軍』(アミン・マアルーフ著、牟田口義郎+新川雅子・訳)を一度読んで欲しい。今まで抱いていた十字軍に対する考えが粉々になってしまうであろう。
私が今回の授業で『イスラムと西洋・キリスト教』だけでなく『十字軍の残酷』というタイトルを付けたのはまさしくこの点を考えてもらいたかったからだ。つまり、欧米が、自己防衛的な言辞とレトリックを振り回し、国際世論を自分の有利なように煽り立てるのは、彼らの自由であるものの、我々日本人がそれに盲目的に従うのは馬鹿げている。そういう見識のなさが、日本が国際政治において何らの重きも置かれていない根源的な理由である。今後ますます複雑になる国際情勢において、自らの権益を堂々と主張できるような見識ある日本人の輩出が望まれる。その為には、イスラム(中近東、アラブ、ペルシャ)について今までの知識をゼロリセットし、偏見なしに歴史を総まくりしてみる必要があると私は考える。

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本稿は今回の講義のまとめである。一部、語句を修正したところがある。またところどころ筆者(本稿をまとめた学生)の意見が入っている。
モデレーター:セネカ3世(SA)
パネリスト:T.T、NAO、K、TAMAYO
・イスラーム教について言われている「右手にコーラン左手に剣」は正しいか?
この質問について、T.Tさんは『イスラームの日常世界』という本を参考にした上で「正しくない」と述べた。イスラームに強制的に改宗を迫られるというよりはむしろイスラームそのものに魅力を抱いてイスラーム教を信仰し始める人が多いと述べた。初期の約100年間に広範囲にわたる地域を征服したが、人々は自発的にイスラームに変わっていった。続いて、NAOさんは「アラビアではもともと多神教であったが、ムハンマドの教えにより現在の一神教へと至った」と述べた。 Kさんは「予言者は単に未来を予言する者を意味し、預言者は神の声を民衆に伝達する者だ」として2つの違いに言及し、イスラム教ではこの預言者が第一に崇められると述べた。
預言者を第一とするイスラム教と、ユダヤ教あるいはキリスト教はなぜ争わなかったのか。その理由は両宗教がともに旧約聖書を原典としている、啓典の民であったことがあげられる。またイスラエルとアラブはともにセム族であり同族意識が強かったことも影響している。イスラム教の中での分裂(シーア派とスンナ派)があるため内部の争いの方が激越すぎて、他宗教に興味がなかったのでは、という意見も聴衆の学生からあった。
・十字軍の実態
アラブ人たちは、当初おなじ啓典の民であるキリスト教徒が攻めてきたときにその意図を測りかねていたのではないかというセネカ3世(SA)の問いに対し、「最初はただ傍観していたのだがだんだんあれ?と驚きに変わった」とT.Tさんは答えた。
現在はイスラム教徒は戦闘やテロといった加害者的、一方キリスト教は被害者的イメージが我々にはあるが、昔は十字軍に攻められた。しかし、果たしてイスラムはキリスト教徒より弱かったのかという疑問が生まれた。
TAMAYOさんは「技術自体は持っていたが、ただ同族意識によって攻撃できなかったのではないか」と述べた。
セネカ3世(SA)の説明ではヨーロッパの城塞の作り方は明らかに十字軍の前後で異なる。つまりイスラムの強固な城塞の作り方をヨーロッパにも導入したのである、とのことだ。当時のイスラム文明は野蛮などでは決してなく、むしろヨーロッパより洗練されていた。
・十字軍がもたらした影響
○アラブではどうだったか?
NAOさんは「キリスト教徒という共通の敵ができたことで、そこまで内部対立していたのを止め、まとまりが強くなり、アラブ自体の世界が再統一された」と述べた。
セネカ3世(SA)の説明では、安土桃山時代に日本に来たイエズス会の宣教師がなぜ仏教徒は宗派間で争い(殺し合い)しないのか疑問に思ったそうだ。つまり、ヨーロッパや中近東では宗派間の激しい争いは一般的であったことを物語っている。
○ヨーロッパの立場からはどうだったか?
Kさんは「西の地域にも高度な技術が伝わったからよかった」と述べた。十字軍によって多くの浪費があったことは確かだが得たもののほうが多い、という。西暦20 0年~1200年の間の時代のうねりをイスラームという新しい風によって変化が生じたからだ。城塞、化学、医学、等の技術が流入するきっかけとなった。またこれに関してKさんは「ヨーロッパでは病気は悪魔の仕業だと信じられかなり酷い医療技術しかなかった」と述べた。瀉血といった方法や感染症によって多くの命が奪われていた。医学では、イタリアのナポリの南にある都市、サレルノ(Salerno)ではイスラム医学をいち早く取り入れたため、当時のヨーロッパにおける医学の中心となり、発展した。
・第4回十字軍について
なぜキリスト教徒が同じキリスト教徒を攻めたのか?
この質問に対し、TAMAYOさんは「名目上は宗教の問題、けれども実質は商人たちの利益のためであった。当時栄えていたビザンティウムに攻めたかったから。」と述べた。ここで作られた城壁に関して、城壁内では疫病により多くの人々は死ぬ、また敵が財産をもって城壁を囲んでいるのは援軍がやってきて奪ったら得であるからであり、このように戦争とは、政治的な見方で考え勝ちであるが、経済目的であることもかなり多いとはセネカ3世(SA)の意見。
その後、東ローマ帝国が滅亡したため、高度な知識と技術をもった医者、芸術家たちがイタリアをはじめ、西欧諸国に移住した。その結果としてルネサンスが花開いた。こういった視点から見て、十字軍は歴史上非常に重要な意味をもっていることを学んだ。しかし忘れてはいけないのは戦争の被害者はアラブ人たちであったことだ。
いずれのパネラリストも、このクラスのディスカッションのために調査する前はイスラムのことをあまり知らなかったと述べた。あるいは、欧米サイドからの固定化されたイメージを抱いていたと述べた。しかし調べていくうちに今まで抱いていたこととは全く異なる事実があったことを知り、驚いたと述べた。
筆者自身もアラブと聞くと一般的にテロや過激派といった怪しいイメージがあったが十字軍やその他、イスラムの実体を知り、アラブが野蛮であるという評価はいずれも欧米の視点からの恣意的な評価であり、決して事実を物語っているのではないものだということを痛感した。そして十字軍がもつ意味の大きさを改めて認識させられた。